分厚い記念誌は読まれない?社史を「共感の物語」に変換して社員の心に届ける方法

周年の記念誌をお手伝いしたとき、担当者の方がこう言っていました。

「3年かけて作ったのに、社員がほとんど読んでいない」と。

その言葉が、えとこえが社史の届け方を考えるきっかけになりました。

記念誌が読まれない理由は、内容が悪いからではありません。

読む理由が、社員にないからです。

自社の歴史を大切にしているからこそ、若い社員や中途メンバーに創業期の熱量が届いていないのではないかという不安を感じることはありませんか。

その不安は、記念誌の厚さとは関係ありません。届け方の問題です。

社員が歴史を「自分の話だ」と感じるのは、年表を読んだときではありません。

創業者が当時どんなことで悩んでいたか、何に怒っていたか、どんな偶然で今の会社が生まれたか——そういう「人間の話」を聞いたときです。

えとこえが社史の届け方として提案するのは、1枚の絵に起源を凝縮して語る場をつくることです。

泥臭い葛藤を笑いに変えながら語る。

うまく語れなくてもいい。

むしろ少し不完全な話の方が、記念誌の完璧な文章より長く記憶に残ります。

記念誌は記録として価値があります。でも記録だけでは、誇りは生まれません。

語る場が加わったとき、歴史は初めて「自分たちの物語」になります。

社史の届け方を変えたいなら、えとこえに声をかけてみてください。